Archive for the ‘Philippine’ Category

日本とフィリピン

  フィリピンではいたるところで日本車をみる。これは貿易協定を結んでいて日本人が捨てたまだ使える車をフィリピンに持ってきているかららしい。家電製品も日本のメーカーが目立つ。しかし一般家庭にある家電製品はsamsungが多かった。   フィリピン人は日本はアジアトップの技術大国であると言っていた。これに対して僕はステレオタイプだと行った。まだ技術大国かもしれないがどんどん地位が下がっている気がする。   自分で言って虚しくなった。   WWⅡの時にフィリピンは日本の植民地だった。戦争中なので、sex slave として扱われる女性もいた。または、ただのパートナーだったためいい暮らしができたフィリピン人もいたらしい。ある人は日本人を憎み、ある人は、日本人を尊敬する。現在はハイテク産業で世界を牽引し、裕福な暮らしをしえている。フィリピンにも日本の工場は多くあり、フィリピンに職を提供してくれる国もである。 僕は戦争中に日本がフィリピンに何をしたか知らないし、今日本がどういう影響を与えてるのかしらない。だけどフィリピン人は僕を戦争でひどい事をした日本人、フィリピンに貢献しいるleading countryの日本人と2つの側面で見てくる。   歴史、世界情勢に対してあまりも無知だということがわかった。   生活水準 生活のレベルに差がありすぎるため、平均を取るのはすごくナンセンスだが、現地企業に勤めれば、月収3万円 外資で月収5万円  露店 月収1万前後   ジプニー(日本のバスのようなもの)1回 16円 大人の一日の食費 200円 ジュース 1本 20円 カクテル 200円 鳥の丸焼き 300円   しかし、輸入したアイテムは日本とおなじ値段 外人が普段何気なく着ているものはフィリピンにとっては相当高級品だ。   フィリピンの普通の企業に務めている人の1日の賃金と日本学生の1時間のバイトが同じである。定年してフィリピンに移住すれば快適な生活を遅れるだろう。 実際年老いた外人が、若いフィリピーナを連れてよく待ちを歩いている。   日本に生まれたというのは相当幸せなことだと改めて思った。

天は人の上に人を造らず  人の下に人を造らず

  我らが大先生の名言「天は人の上に人を造らず  人の下に人を造らず」 ただし、福沢諭吉が言いたかったのは、みんなが平等、ということではない。平等なはずなのに、貧富の差があるのはなぜか?それは、学問をしているか、していないか、その差がそのまま貧富の差になっているからだ。だから、学問をしなさい、というのが、彼の主張です。それゆえ、タイトルが『学問のすすめ』なのである。   先日、とあるフィリピーナと話した 彼女は23歳ビキニバーで働いている。日本語が少しでき、日常会話程度ならなんとか出来るレベルだ。その他にもフィリピンのローカルランゲージ、英語とうも合わせ4国語喋れるという。 ぼくは質問してみた なんでこんなことろで働いているの? 彼女は答えた。母親は他界し、大家族支えていかないと行けない。さらに3歳になる子供がいて、夫は、いない。夫は、彼女が妊娠した時にはもう結婚しており、彼女を捨てたそうだ。彼女は大学に行ってない。その子を育てるため、学校に行かせるためにはたくさんのお金がいる。彼女は続けて言った、その子は、本当に学ぶことに興味を示している。2歳とは思えないそうだ。だから何としてでも学校に行かせてやりたい。そうすれば、その子の人生は変わるはずだと。女一つで大金を稼ぐのは方法は限られている。ビキニバーは午後4時に出社して午前3時に閉まる。彼女の家は遠いため片道2時間かけて通勤しているという。帰っても子供が寝付かないと殆ど寝れないという。彼女の目はくまがあり、とても腫れていた。 商売柄、悲しい話をし、客からお金をもらうというのは考えられる。しかし、事実として、フィリピンにはシングルマザーが多い。 理由は2つ、フィリピンでは女性の数が男性に比べて多い。(性)教育が十分でない。 僕の学校の先生が言うには、4人生まれると1人男で 3人が女と言ってた(大げさ、人口ピラミッドをみると女性が少し多いくらい。ただし、フィリピン全体の統計なので、セブはもっと、女性の比率が高いのかもしれない。) 実際、実感値として男性の数は少ないらしい。 性教育が十分でないので、誤って妊娠してしまう人が多いらしい。さらに教育が十分でないので、スキルがなく、職がない。 この女性の言っていた真偽はさておき、このような女性は間違いなくフィリピンにはいるだろう。 そういう人がいるのは知っていたが、実際に話してみるのはまた違った。今までは悪い点があっても見てみぬふりをしてた。あえてそこだけ視点をずらしていた。これからはもうそこを見てみぬふりをすることはもうできない。 このビキニバーにいるような女性と、昼間の仕事をしている人たちの差は ”学” だ。 勉強できるということは本当に恵まれていると思う。日本では、勉強は当たり前にできる。みんなが小学校 中学校 高校 大学にいける。世界では多くの人が学びたくても学べない。そして、その ”学” がその人たちの人生を左右していく。やはり機会は平等ではない。だからこそ、与えられた機会は恵まれていることを自覚し、全力で突き詰めなければならない。 天は人の上に人を造らず  人の下に人を造らず

とある脳科学者とNo3

フィリピンの歴史 フィリピンの歴史はとても興味深い。彼らはスペインに侵略され、彼のの文化は一回滅びかけた。今では宗教はキリスト教、公用語は英語化、西洋的な価値観に支配されている。フィリピンの人たちはこのことを受け入れているようだ。英語の会話の中でもサラっと侵略されたんだよ と言ってくる。 その土地の歴史、考え方、宗教はその風土そのものが作りあげたという一つの説がある。 すなわち、フィリピン文化というのはフィリピンにしかなく唯一無二のものである。それが今では薄れていき西洋的価値観が大きな影響を与えている。   この世で不変なものはchange(変化)である。与えず時代に合わせ、形を変えていく。そう考えると様々な文化が混じり合い、衝突し、滅ぶもしくは融合するのは、自然なことかもしれない。だが、今まで積み上げてきたものが、崩れるというのはやはり寂しい感じがする。 中から見ても外から見ても、それは悲しいことだと思う。 今は、交通、ネットが発達し、今まで交流出来なかったことが交流し、変化が生まれているだろう。 世界は一つの統一的価値観にまとまっていくのだろうか。それとも他の文化を知ることにより、違いが鮮明となり、よりidentityが際立つのだろうか。 今のフィリピンだけを見てみると一つの価値観に統一されていく方向に行っている気がする。バス、市街と見ると、キリストの絵や十字架がいたるところに目に入る。ただ完全に同一ではないが本当に似通っている。   歴史の二面性 僕の今いるラプラプ氏は侵略者 マゼランを打ち破った英雄ラプラプの名前から来ている。現地の人から見ると英雄らしい。しかし、歴史の教科書を見てみよう。マゼランはフィリピンに来てて現地の貴族と良い関係を気づいていたが、ある野蛮人(ラプラプ)によって殺された。フィリピンの中から見れば、正義。外の世界から見ると、悪。だけど僕達は歴史の一面しかしらない。ベトコンも二項対立によって表されている。どっちらかが正義で、どちらかが悪。アメリカがサポートして、戦争を”悪”を滅ぼそうとしたが、ベトナム人の現地の人からするとアメリカがinvateしてきたので、それを国を挙げて戦ったそうだ。   さて、僕達が知っている歴史というのは勝者の歴史だろう。打ち負かした相手を悪と称し自分たちを正当化する。客観的意見は存在しうるのだろうか。本当の歴史とは何なのだろうか。

とある脳科学者とNo2

フィリピンをみてて、日本はとても発展しているなと感じた。しかしこんなに発展する必要性はあるのかと感じた。 はたして、日本が発展し続けなければ、いけない理由はあるのだろうか? 資本主義の枠でうごいているのだから日本が豊かな生活をしてるのは貧しい国から搾取していることにほかならない。もしかしたら僕が豊かな生活をするために誰かを気づきけているのかもしれない。 そう考えると日本が発展し続けなければいけない正当な理由はあるのだろうか? 何と思う。 しかし、経済が衰えていけば今の水準を維持できなくなる。そうすると一般人が高級品が買えなくなる。もしかしたら食べ物すら買えなくなるかもしれない。そうすると今まで栄華を経験してきたので耐えられなくなり、略奪、人身売買等が頻発することになるだろう。 こんな社会に日本がなるのは嫌だ。 ここに日本が発展し続けなれればならない理由があるのだろう。 資本主義の中では一回走り出したら、止まれない。負けてはいけない。技術で勝負してきたのならなおさらだ。なぜならば、技術がない国でもお金さえあれば、技術を買える。日本より圧倒的なお金を持っている国が日本の技術を買い取ったら日本は衰退するだろう。だから常にトップを走らなければならない。   資本主義と伝統について 物事すべて功利主義という名の下に一つの価値観に置いている。しかし、そこには何千年と続いてきた伝統や 思想というのは反映されない。これらは一回滅びると取り返しのつかないものだ。伝統や、思想には価値がつかない。だが大切なものはあると思う。たとえば、ここフィリピンは、第一言語は英語、宗教はキリスト教 つまり自分たちが今まで築いてきたものが西洋文化に全て否定され、上塗りされた。伝統衣装とされているものも実はスペインの奴隷時代の服だそうだ。 フィリピンの人達はなにを思っているのだろうか。   海外でお金を使うということ 海外でお金を使うということは、日本が稼いだ貴重な外貨を外に流出させていることと同じである。するなという訳ではないが、お金を使ったのならそれ以上に自分の仕事で日本に外貨を持ってくることを意識したほうがいいんじゃないか  

賢を見て等しからんことを思い 不賢を見ては内に省みる

先日 一所懸命というblogを書いたが http://giworlds.com/2012/02/12/philippine3/   自分は、何かおごっていたなと感じた。 それは、いかなる場所でも自分はベスト尽くしていたか? という問を自分に投げかけてみた。 日本にいては外人が少なく英語が話す機会がないと言っていたのは、ただの言い訳だった。 TEDee rarejob ラングリッジ 留学生 いろんなものがある。まだベストを尽くしていない。 もっと精進しよう。 賢を見て等しからんことを思い 不賢を見ては内に省みる

一所懸命

今僕のいるCELIという場所は、校風が自由なので人が二極化します。 1 観光ついでに英語を学びに来た人 2 英語を学ぶために来た人 韓国人は、韓国の勉強が厳しすぎるのでここにはリフレッシュついでに来ている人が多い、つまり前者 日本人は、ほとんどが前者 ある後者の日本人が言った。「学ぶ設備はいい だが人の質が勉強には悪い」  自習室は24時間使えてクーラー完備、照明も明るい お湯、水も飲める。一方、人は、毎晩どこかに出かけ食べてしゃべる。日本人が複数いればたいてい日本語しゃべる。 僕は、後者 TOEFLの点数を上げるために来た。だけど僕はすばらしい環境だと思っている。勉強している人は殆どいないので好きなだけ自習室を使え、好きなだけ音読して練習できる。日本人は日本人同士で集まるだろうと思ったから、日本人とは基本的に話さない。(日本人で英語で話してくれるなら大歓迎だ。だけどみんな話さない。)だから少し孤独だ。その孤独を補うために日本人以外と自分の話したいことを英語で話そうとする。とても素晴らしい環境だと思っている。 見方を変えればとても素晴らしい環境だ。 人に影響を与えるものとして、環境、時間、他人と偉い人は言う。 これに関しては賛成だ。だから英語を学ぶのいい環境を得るためにフィリピンに来た。もっといい学校があったかもしれないが、自分が望むベストな環境というのはなかなか手にはいらない。しかし、与えられた環境で自分のベスト尽くすことはできる。環境が変えられない状況ならば、プロフェッショナルはその中で自分のベストをひたすら追求し続けなればない。 自分の与えられた 一所(環境)で命を懸ける(ベストを尽くす)。 一所懸命

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