Archive for the ‘Uncategorised’ Category

やっぱ馬鹿なのかな

慶應の教授に小野さん http://onomasahiro.net/ 日米大学院プロジェクトを立ち上げた方がいることがわかった。 最近挫折感を感じた海外への思いがぐっとこみ上げてきた。 アメリカ留学が今年の抱負としてあげたが3月になり望んだ研究室にはいり、英語の論文を読む。あきらかに英語での吸収が遅い。徹夜で読んでみるただ朝になると単語か記号かよくわからんレベルになって、ひたすら同じ文字を打ち続けて何回も寝落ちする。頭の回転が足りないのか、体力がないのかよくわからんよ。 研究室のみんなは海外なんて選択肢は考えていない。一人、研究室にとまる。孤独だ。 真夜中に、今の現状を考えるとアメリカにいける可能性は低いんだろうなと 考えたくはないがふと頭に浮かぶ。 去年行った西海岸、シリコンバレーを考えると心が踊る。いいところしか見てないのは確かだろうだけど、やはり行きたいんだよな あの気候 あの多様性 あの人たち 素晴らしい。       今、完璧諦めると後悔しか残らんな、実現可能性とか知らんよ。 確率で自分の人生に足かせをはめるのは間違っている。 ぼくは確率の高い方にかけて成功していくっていうスマートな生き方は向いていいないらしい。 こういう選択は大胆に、馬鹿になろう。     結論 やはり 俺は馬鹿らしい。   最後にこの言葉引用して終わります。 努力しても報われないことがあるだろうか。 たとえ結果に結びつかなくても、 努力したということが 必ずや生きてくるのではないだろうか。 それでも報われないとしたら、 それはまだ、努力とはいえないのではないだろうか。          -   王貞治

ようやく自分の足で歩き始めた

今までは、暗記に自信があったためにわからなかったときは、思考を停止しただ過程を暗記することに務めた。思考をせずまるで、他人に糸を付けられ、操り人形のような人間だった。この頃は自分の頭で考えているのがわかる。すごいよちよち歩きだが、自分自身の足で地面を踏みしめ歩いている。世界はこんなにも疑問があったのかと思えることが少しずつだが増えていった。

繋がりすぎた世界

今世界はソーシャルメディアがはやり、世界はどんどんつながっている。facebook、twitter、path、mixi など数えてみるとキリがない。これらのおかげで世の中はとても便利になった。たしかに便利になった。しかし、人間は進歩したのか。僕がこの疑問を考えたのは、下記の点からである。 つながることによる、考えの並列化 大量の情報の流入による消化不良 negativeな意見がマジョリティになる   つながることによる考えの並列化 SNSのおかげの一つの思想が瞬時に皆に伝播する。みんなが言っているからという、数の力により考えずにそれが正しいと思ってしまう。多くの人が同じ意見を持ち、考えが並列化される。ここで忘れてはいけないのが、ネットの情報は必ずしも正しくはない。これで何がまずいか? 考えるという行為は非常に大事である。世間では地頭など言われているが、要は一つの問題に対してどれだけ多くの視点から考え、深掘りをし、その中から最適なものを選ぶか ということである。その力は日頃、どれだけ考えているかに依存する。その力が落ちる。人の価値というのは、その人がだれだけオリジナリティがあるかというのがひとつの指標だと思う。同じ事であれば、PCだってかんがられる。PCが考えられないオリジナリティを出すことが人間の役目ではないのだろうか。この喪失が起きやすくなる。   大量の情報の流入による消化不良 情報はただそれを知っているだけでは意味が無い。その情報から自分なりの新たな切り口を見つ、自分自身の意見をもつことにいみがある。知っているだけなら、みんなと変わらない。googleには敵わない。いろんな情報を見すぎて、ただ知っているだけになり一つの情報から自分の意見を生成するという練習がおろそかになっていないだろうか?   ネガティブな意見がマジョリティになる これは、僕の勘違いかもしれないのだが、SNSでバズっている情報はネガティブな意見がおおい。なぜか、現実世界で考えてみよう。あるお店で商品を買いました。しかし、その商品は不良品でした。あなたは間違いなく苦情をいうだろう。逆の場合、その商品は自分の満足したものでした。外に情報を発信することなく、ただ良かったと自己完結するだろう。当然よくても意見は言うだろうが比率的には不満を言っている人が多いだろう。もう一つの理由、この複雑な社会を生き、皆ストレスが溜まっている。それのはけ口としてSNSが使われる事が多い。誰かが言った不満が引き金となり、自分の不満が溢れだしてしまう。だから建設的な意見は少ないのではないかと思う。   まとめ 僕がこのblogで一貫しているのは どれだけ日常で考えているか、自分の軸を持っているか の2点である。 みんなと同じものを見ていてもしっかりと考えれば考えの並列化は起こらない。大量も自分の軸というフィルターを通すことにより本当に必要な物を取り出すことができる。ネガティブなことが多数を占めていても、軸があれば流されることはない。考える時間を取るために1週間情報断食をしてみるのがいいだろう。SNSは使わず、必要最小限に留める。そして、その1週間で本当にこれらは必要なものなのかを考えるといいと思う。僕の個人的な意見だが、情報という贅肉を現代人は持ちすぎている気がする。それが頭の回転を遅くている。

理念を伝えるにはどうしたらいいのか?

サークル、会社を問わず組織で動く以上みんなで同じ方向を向くために理念を全員が理解する必要がある。  僕は、10人のマネージメントをやっていた時には、ひたすら face to face のコミュニケーションを心がけた。時間があれば、一緒に御飯を食べその団体に関して思っていることだけではなく、日常生活のことなど様々なことを話した。毎回1から丁寧に理念について話していった。その甲斐あってかこの団体は、うまく1年間回すことができた。   さて、組織が大きくなっていくとどうなるか? 全体が見えなくなる。 組織が大きくなったせいで、組織に属するすべての人と顔を合わせうことがなくなる。 採用するのが自分ではなくなる。 今までは自分が採用に関わっていたためちゃんと人を選んでいたが、他人が採用するので、組織に合わない人が来る。だから、理念を理解させるために、コミュニケーションをし、圧倒的に時間を取られる。   理念を説明するときは、一人一人にわかるように丁寧に教える。  この方法はすごいいい方法に見えるが 実はすごい大きな落とし穴がある。それは一人一人にわかるように教えるため、みんなに行っている言葉が違う。これによりどういうことが起きるかというと、あの人私に対してこういってたんだけど、え、俺に対しては光入ってたよ と意見の食い違いが起こる。 理念をみんなに伝え尚且つ、自分の時間をいっぱい取れる方法がある。 それは、理念伝達のコミュニケーションに時間を割かない。理念は文字にしてみんながいつでも見えるようにする。そして自分はひたすら背中で語る。   文字にし、統一したものにすることにより、みんなが同じ方向にむきやすくなる。

上からか 下からか?

何かを決めるときに2つの考え方がある 目的から考える。 現状から考える。   目的から考える。 現状を考えず、その目的を達成するためには何が必要か? をリストアップしていく。やりたいことから今の自分に向かって階段を降りていく。 その中には、今の自分と離れていて階段がつながらないと思うかもしれない。しかし、ここは目をつむってその差を飛び越える。なぜならこれはこの目的を達成するためには絶対必要だから。 メリット 目的から考えているので、そこまでのステップをこなせば、絶対に目標が達成できる。 デメリット 現実との乖離がある。   現状から考える。 今自分ができることから考える。そして目標に向かって徐々に階段を組み上げていく。足場が毎回ちゃんとしているので、安定して目的に近づける。 メリット 安定して目的に近づける。 デメリット 階段を登り切った時に、その目的にたどり着いているかわかない。   結論 1 まずは自分の目的を明確にする。 2 上から考え目的実行に必要な物を考える。 3 現状から、その必要なものまでに到達いたる方法を考える。 4 後はそれらをひたすら実行するのみ   なぜ目的を設定したあと、上から考えるのか 現状から考えると、無理なものは思いつかない。むりだなと思っているものをできるようになるのが成長である。下から見上げるよりも上から俯瞰して自分に足りないものを探すほうが良い。

なぜ理系女子は就活に強いのか?

まず理系は文系よりも就職率がよい。 これは文科省のデータを見ればあきらかだ。ではなぜ理系は文系よりも就職がいいのだろうか? 大学の授業で強制的に考えさせられる時間が多い 数字で示すことが求められる。 文系に比べ全体数が少ない。   大学で強制的に考えさせる時間が多い。 人間の脳は筋肉に似ていて、どんだけ考えたかでその人間の思考力は決まる。神経は2の階乗でつながっていくので、少しの差で2倍、4倍と差が開く。 授業数の必修の数、なおかつ出席しなければならない物が多いので毎日強制的に考えさせられる時間がおおい。   数字で示すことが求められる。 一般的に、理系というと数学が得意。プログラミングできる。ロジックの構成がうまい。などというが本当にそうか? と考えると疑問である。自分の専門でなければ、ほとんどわからない。数理学科にいなければ難しい方程式はわからないだろうし、プログラミングを全くしないところもある。論文をかかされるので、ロジックを立てて考えなければならないが、これは文系の学生にもあてはまる。僕は違いは最後の解を数字で示すかどうか出はないかと思う。 毎回定量的に考えなければいけない。 定量性というのは客観性につながる。この定量的に考える力はひびきたえられるだろう。   全体数が少ない。 すべての会社は全員が文系で回るわけではない。理系を文系の調和が大切だ。webを作る人、数字で現状を分析する人。さまざまだ。文系のほうが圧倒的に母数が多いので、会社がほしいと思う需要に対して、学生の供給が超過しているのではないだろうか。一方、理系は学生の絶対数が少ないので、会社の需要に対して学生の供給が間に合ってないのではないか。   さて、文系と理系では理系のほうが就職はいいということはわかったが、なぜ理系女子か? それは、理系の特殊な人数構成にある。 理系は女子が少ないでゆうめいである。女子を探すのが◯ォーリーを探すくらい大変だという人もいる。 男女共同参画など言われているが、まだ社会のマジョリティは男である。理系という圧倒的に男がマジョリティを取る中で、鍛えられサバイヴしてきた女子は、強い。 自分が女子ひとりでも周りの男子とコミュニケーションは取れる。 自分の意見をいうのに慣れている。 大人数の男子のマネイジメントに慣れている。 これに理系の強みがくわわれば、素晴らし強みを持った理系女子の誕生である。   ※あくまでここに書いてあるのは一部の傾向であり、全ての理系、文系にあてはまるわけではありません。 なお、著者は文系、理系、男女に対する差別はありません。

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